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拙文の部屋小生が、感じたことなどのコラムです。

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ふと気がつくと、60歳に達していた。振り向くと「もっと色々なことをしておけば良かった。」「もう少し勉強をしておけば…人生も変わったかも。」とか悔いの気持ちがわいてくる。
情けないことだが、たぶん誰しも思う気持ちなのだろう。
若い頃、60歳の方を見れば老人に見えた記憶がある。そして、今その年齢に達した。なってみれば、まだまだ自分は若いと思うのだが、やはり、身体は少しずつ弱ってきているようだ。
顕著なのは、目である。すっかり老眼に成り、仕事でもプライベートでも老眼鏡は手放せない。もっとも、乱視も酷くなったおかげで、検眼が必要でホームセンター等の安いメガネでは耐えられない視力となっている。
仕事で、出かけ電車に乗ることも、億劫に感じてしまう。
睡眠時間も長くなってきて、今は10時になれば夢の中なのである。ただし、朝は早い。完全な老人生活体系だ。
ネガティブ感情ばかりだが、救われるのは雪に会いに行く姿勢だ。スキーだけはアクティブアクションなのだ。未だ、カービングでかっとび若者風情を演じている。
ま、そのうち、足でも折るのだろうが…。
思想的にも変化が出てきた。
人の死を少しずつ受け入れられるようになったことだ。先日、同年齢の友人と酒を飲んでいたときに、彼が「人が死ぬことは運命でそれはそれで仕方ないこと。近いか遠いかは別としていずれ訪れる自分の死は、元に戻るだけ」と話していたことを思い出す。
テレビだったか、「人は全員が死ぬ」と言うナレーションを聞いたときもうなずけた。
若い頃は、『死』そのものが本当に怖く、決して受け入れられない感情を抱いていた。
たぶん、動物の本能で、死が近づくにつれ脳がその恐怖を和らげるために、変化するのかもしれない。
誰しも死は恐怖なのだが、必ず訪れるエンディングなのだ。
敢えて、違うのは死へのエピローグなのかもしれない。病死、事故死、自然死と様々だが、やはり、なんとしても眠るように幕を閉じたいと誰しも思うことだろう。
それ故、最大限の身体の変化に対する注意が必要なのかもしれない。自分はまったくできていないが…。
また、この世に生を受けている間に悔い残らぬ人生を過ごすことだ。と言ってもその内容は個々人でまったく違うと思うが。
死への恐怖は宗教へとつながるのだろうが、良かったか悪かったはわからないが、小生、その道には全くの無知である。
一つ言えることは、心の隙間に食いついて金儲けをする輩は最低だと言うこと。書きたいことは多々あるのだが、この一文ですませたい。なにせ、無宗教家であり、とやかく言う資格はないためだ。
さて、ここまで、人生の終演らしからぬことばかりを考えてきたが、ウィキペディアによると、「還暦(かんれき)は、干支(十干十二支)が一巡し、起算点となった年の干支に戻ること。」とのことだ。
そうか、一周しただけなのである。
まさに、ここから第二の人生のスタートと考えなくてはいけないね。
第2幕の自分はどうなっていくのかな。少しでも有意義な日々を過ごしていきたいものだ。
工事中
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